2017年3月12日(日) 【唄は下手でもいい】 唄が上手い下手というのは、どの基準で判断するのだろう。 音程どおりに唄い、リズムをキープする… それが唄が上手いということなのだろうか。 俺が崇拝するミュージシャン達は、けしてその類には属さない。 それでも感動し、心打たれ聴き続けてきた。 そして何よりも、人ひとりの人生さえも変えるくらいのパワーがあった。 オヤジの苦言ではないが、最近の楽曲が何故心打たれないのか… 考えてみた。 それは先ほど述べた、音程どおりに唄いリズムをキープする。 確かにキレイに聴こえる。 キレイに聴こえるけれど、何故か心に響かない。 そして何故なのか、自分なりに考えてみた。 それは、唄い手の個性がないということ。 どの唄い手も同じに聴こえるということ。 俺が心打たれてきたミュージシャンは、けしてキレイに唄わないと先ほど書いたのだけれど「個性」がある。 その唄い手達の楽曲を聴けば、すぐにその人がわかる。 「唄は心」 「心が唄になる」 それはけして音程どおりに唄うということではない。 心が唄を唄わせている。 と、そう感じる。 つまり、唄心。 その唄心が無ければ、オリジナル曲だろうがカバー曲だろうが人の心に響かない。 唄い手故に、それが基本だと思う。 自分で言うけれど、俺はけして唄は上手くない。 それは音程もリズムも。 ただ嬉しいのは、声がいい。と言ってくださること。 声は自分の歴史。 つまり年輪みたいなものと思う。 ボイストレーニングなどしたこともないし、ある先生にお願いしたところ「あなたはあなたのままでいい」 と言ってくれたことが嬉しく、それからとにかく気持ちを込めて唄うことに専念した。 それが今の声。 しゃがれているけれど、それが自分の声。 それを褒めてくださるということは、本当に嬉しい。 「唄が下手」という言い訳に聞こえるだろうけれども、そうではない。 俺は俺の等身大の唄、等身大の声 それを唄っていきたいということ。 聴き手は好き嫌いがあるのは当然なこと。 でも、俺の唄達を聴いてくれる人達がいる以上、俺は唄い続ける。 俺の唄達を好きでいてくれる人達がいる以上。 俺は等身大で唄い続ける。 戯言のお付き合い、ありがとうございました。 [コメントする] [更新通知] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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