昭和49年4月

家から徒歩10分の名古屋市立高蔵小学校に入学する。


11年の担任は、姉と同じ先生で佳代は三者面談の時にうるさく落ち着きがなく、母親を困らせた。

家族で動物園に行った時にも好奇心が旺盛な佳代子は、あっちにチョロチョロ、こっちにチョロチョロと動き回って、とうとう迷子になってしまった。
両親は心配して、何度もマイクのアナウンスで呼び出しをして貰うが、なかなか行方が判らずに大騒ぎになって、無事に発見された時にも騒動になっていた事も知らずに元気に遊んでいた。

この頃から、既に独立心の強い、しっかりした性格の子供だった。

そして、学校の給食が嫌いになって、『給食は嫌いだ』という詩を作り発表した事もあった。
特に嫌いな『カレ−うどん』では、先生の所まで持って行き、「こんな変な物、よう食べん」と徹底ぶりを見せた。

三年生の頃になると、毎晩、本を読みふけり、夜更かしては母に注意された。

「早く寝ないと、学校に遅れるよ」

「どうして、人は寝ないといけないのだろう?
こんなに本があるのに勿体ない!」


佳代は、哲学者みたいな事を言って母を驚ろかせた。

「あんたは、馬鹿か利口か判らないね」

「自分は利口だと思う。
エジソン見てみい。小さい頃に馬鹿扱いされても、あんなに凄いし。
私だって、大物になるかもよ!」


大人以上にシッカリした事を言う反面、たまに間の抜けた事を言う佳代に母は呆れ果てた。


大高緑地公園の芝生では母親にバトミントン、縄跳び、前方転回、ブリッジ、逆立ち歩きなどを得意げに見せてみた。

また体操教室で新しい事を習うと毎回、そのまま家で再現する。
家の壁際に座布団を敷いて、倒立や三点倒立の練習、ダンボールに本を詰め、座布団を置いて、跳び箱の代わりにして、台上前転、赤ちゃんの頃の古い布団やマットレスを敷き、バランスや前転など、あらゆる物を使って見せた。

そして、こんな時は姉妹の団結力が大いに発揮された。

「お姉ちゃん、平均台が欲しいね!買ってくれるかなあ?」

そんな、姉妹の希望が叶えられて、近所のスポーツ店から届いた平均台が狭い庭に設置された。

「ほら、佳代、ポーズを取って!」

家庭用カメラの前で佳代は得意顔で技を披露した。

4年生からは、合唱部に入部して顧問の先生に憧れて毎日、5時、6時まで練習した。

この年、CBC「音楽コンクール」・熱田区の代表校になって公会堂で涙ぐんで歌った。
そして、この時、撮影されたVTRが地元TV 局で放送された。

合唱コンクール

佳代は、幼稚園時代に喧嘩ばかりしていた姉の事を上級生として見る様になった。

そして、4年生で本格的に絵に興味を持ち始める。
毎日、祖父が創作した黒板に落書きをして、絵画教室にも通い始めた。

この頃、佳代は母に対して夢を語った。

「1年経って、先生にもし『才能がある』と言われたら、芸術大学に行きたい!」

感性の鋭い佳代は絵を描く事に関しては、ズバ抜けた才能を持ち、写生大会では木々の緑や石段の描き方、城の量感、神社の屋根、雲の色にも気遣って、時間ギリギリまで食事も摂らずに頑張って描いた絵が入賞した。

5年生の時には、朝日新聞社の写生会で入選して、教育委員会賞など数多い賞を貰う。
6年生の時には、熱田神宮1番の『宮司賞』を獲得する程、絵に対する感性は豊かだった。

絵を描く喜びに「真剣に絵の勉強がしたい!!」と、両親に言い出して、6年生から、日本画や油絵を教えている先生の所に週1回、通いながら本格的にデッサンからの勉強を始めた。


小学4年生から、熱心に読むようになった漫画『ベルサイユのばら』も佳代の心に夢のような世界を運んで来てくれていた。

「オスカルが泣くと、私も泣いてしまうの。
特にフェルゼンの
『もう少し、君に早く会っていれば良かった…』と言うシ−ン。可哀相なオスカル…」

漫画だけではなく、図書館に行っては、難しい名作本『小公女』『路傍の石』『次郎長物語』など読んだりした。

絵の大好きな佳代は、ゴッホの本『7才の犬のスケッチ』を目を輝かせながら、飽きる事なく、いつまでも眺めては感動していた。

「すご−い!やっぱりゴッホは天才だ!」

そんな佳代の小学校入学当時の成績は、余り良い方でもなかった。

《幼稚園で字は習わずに、小学校に入っても遊んでばかりで、親も『勉強しなさい!』なんて事は言いませんでした。
本格的に勉強を始めたのは、ずうっと後の中学に入ってからです》


それでも、国語、図工、体育が得意で2年生の通信薄では、5段階評価でCが2つで、残りは全てDという優秀な成績だった。

小学2年の二学期に学級委員になって、3・4年でも学級委員として活躍する。
小学6年の時には生徒会の書記も経験した。

《学級委員や生徒会の役員はしたけど、私って、決して自分から人を引っ張って行くタイプではないの。
1人、リ−ダ−シップをとってくれる人がいると、その後からトコトン付いて行くって感じでした》


小学3年の時、『私が大きくなったら』というタイトル作文で画家か漫画家か小説家になりたいと夢を書いた。
その中でも、本気で将来は『画家になりたい!』と思っていた。

佳代の小学生の時のあだ名は、耳が大きかった事から『ダンボ耳』と言われて、耳の形にコンプレックスを抱いていた。

《もし、私に赤ちゃんが出来たら、ちゃんと耳を伏せてピョ−ンと立たない様に上手に寝かせます!》

小学6年の時、読書感想文の題材で『レ・ミゼラブル』を書いて、ジャンバルジャンがコゼットに寄せる愛と自分の罪をまるで大人が描いたように書いていた。

また、6年生で百人一首を良くする様になって、中でも【あひみての、のちの心にくらぶれば、昔はものを思わざりけり】という、和歌が1番好きだった。

そして、佳代が女優に憧れるキッカケと自信を持たせた出来事が小学6年生の時に起きた。

130名の6年生全員が二班に分かれて参加する、音楽劇『浦島太郎』が上演される事になった。

そして、劇中のメインとなる主役『浦島太郎』『乙姫』は、生徒たちの推薦で、A班とB班の計4名が主役の座に選ばれて就く事が決まった。

そして、この時、佳代は圧倒的な支持を得て、見事に『乙姫』役を手に入れた。

佳代は『乙姫』役を演じられるという事で、家族に喜びを伝えると共に熱い意気込みをみせた。

『私が乙姫役をやる事になったのよ!
お爺ちゃん達も見に来てね!』


その日から、佳代は乙姫の役作りに懸命に取り組み、大好きなTVアニメ『ベルサイユのばら』を見ては、マリ−・アントワネットの話し方や歩き方、更にはマリー・アントワネットの本まで買って来て、備に熱心に読んで研究した。

そして、その情熱の程が負けず嫌いで努力家の佳代の『完璧主義』な性格と芸術的な優れた才能を発揮して行く。

工作好きな佳代は、ボール紙に金紙を貼って、玩具のパールや赤いボタンを飾って衣装を作り上げた。
そして、更に得意な絵の才能を生かして、背景の龍宮城やスライドで映す情景画まで作成してしまった。

当日は、午前中に生徒たちが相互鑑賞をして、午後から父兄たちへの披露となっていた。

1日目がA班、2日目がB班

『佐藤クンが出る時は教えて下さい!僕も見たいから!』

広間校長は、担任の竹内先生に頼んでおいて、当日、体育館まで走って見に来た程、佳代は注目されるような生徒だった。

練習では、竹内先生から幾つかのアドバイスを受けて、本番の舞台では完璧な演技で観覧して竹内先生も唖然とさせた。

『なんて、本番に強い子なんだろう!』

eピアノ伴奏での歌詞
『ようこそ、おいでになりました。
あなたは心の優しい方。
カメを助けて下さった御礼に、どうぞ、ごゆっくり流宮城で、どうぞ、お遊びなさいませ』


乙姫役を演じる佳代

佳代は、歌を唄いながら登場すると玉座に座って芝居を始めた。

その歌声は、後に歌手としてレコードを通して聴く、岡田有希子の歌声より、遥かに高いソプラノ。

最後の方は陶酔したようにそのソプラノを披露した。
唄って踊っての舞台は、会場中で湧く喝采の渦の中で幕を下ろした。

『佳代ちゃん、良く出来たね!素晴らしかった!』

舞台を終えて来た佳代に竹内先生は最大の賛辞を贈った。

乙姫を演じ終えた佳代の顔は興奮で上気していた。

そして、佳代は、この出来事を作文に残している。

『何日も練習して、本番では、スポットライトが眩しく、客席が見えなくて緊張しました』

この乙姫役の出来事が、佐藤佳代に芸能界への憧れを強く植え付ける事になった。







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